ヴェルファーレ(velfarre)について

ヴェルファーレ(velfarre)は、ディスコがブーム華やかな頃には、知らない人がいないほどに有名な東京六本木にあった巨大ディスコです。
1994年12月にアジア最大のディスコとしてオープンしましたが、2006年12月31日に12年間の歴史に幕を下ろしました。
現在、ディスコという形態は過去のものとなりつつあり、クラブという新しい流行へと移り変わっているようです。
ヴェルファーレ(velfarre)を立ち上げたのは、現在グッドウィルグループの創業者で会長の折口雅博です。彼は日商岩井(現在の双日)在職中に、東京芝浦の倉庫を巨大ディスコ「ジュリアナ東京」としてオープンさせ、成功を収めました。しかし、利権争いによりジュリアナ東京の経営から離れ、1992年に4000万円もの借金を抱え、日商岩井を退職しました。このジュリアナ東京を立ち上げた経験を元に、1994年ヴェルファーレをオープンしたのです。
その後1996年にヴェルファーレを退社し、人材派遣会社のグッドウィルを起こし、現在に至っています。しかし、介護事業のコムスンや人材派遣会社のグッドウィルでも問題が発覚し、華やかな時期と多難な時期の繰り返しが彼の人生を象徴しているようです。

日本のディスコの歴史

日本でのディスコの最初は、1960年代にオープンした渋谷の「クレイジースポット」や新宿の「ジ・アザー」だという説と、1968年に赤坂にオープンした「ムゲン」「ビブロス」がディスコの走りだとも言われています。
当時は生バンドとレコードの両方のスタイルが存在し、1971年六本木にオープンした「メビウス」が日本で初めてレコードのみのスタイルで営業しました。
当時の客層としては、芸能人やモデル、富裕層や外国人客が主で、まだ一般の人達向けではありませんでした。
1977年にジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が大ヒットしたのをきっかけに、新宿、渋谷などに多くのディスコがオープンし、一気にディスコ人気に火がつきました。
この頃から1980年代前半にかけては、ディスコの定番ミュージックとなる名曲が数多く生まれました。
いつの時代もそうですが、未成年者の非行の場であるとディスコも見られ、実際に1982年に中学3年生の少女が新宿のディスコの帰りに殺害される事件が起きてしまいました。これをきっかけに深夜営業の禁止・未成年者の入店規制などの警察の取り締まりが厳しくなり、新宿のディスコは衰退していきました。

日本のディスコの歴史2

しばらくの間、ディスコの人気が衰えていましたが、日本がバブル経済期に入った1980年代中期以降、六本木周辺では大規模で内装が豪華な高級ディスコがオープンするようになってきました。
全国展開した麻布十番の「マハラジャ」や、青山の「キング&クイーン」、六本木の「エリア」、「シパンゴ」などが人気店となりました。
豪華な店内には、コンサートホール並みの音響や照明機器、女性の踊りが目立つためのお立ち台、一般席と区別したVIPルームが併設されたりしました。
このような高級ディスコが乱立したバブル絶頂期、流行の仕掛け人が目を向けたのが湾岸エリアでした。これはバブルの影響により土地の値段が高騰したため、湾岸地区の空いている安い倉庫を巨大ディスコに造り替えてオープンするようになりました。
1988年の「MZA有明」を皮切りに、「オーバー2218」「サイカ」「ゴールド」などが次々とオープンしましたが、バブル崩壊とともに各ディスコは閉店に追い込まれました。
これらのウォーターフロントブームにおいて一大ブームとなったのが、1991年にオープンした「ジュリアナ東京」です。ジュリアナ東京は、様々なブームを発信しましたが、1994年に閉店し、その年に「ヴェルファーレ」がオープンしました。

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